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阿南中央ロータリークラブ第137回例会報告 (2007年5月第2例会 2007/05/09 コートベール徳島GC) *会長報告 5月3日の加茂谷鯉祭りには大変ご苦労様でした。綿菓子の販売で18,900円の売上がありました。材料代、綿菓子の機械代の原価と鯉祭り実行委員会へ利益の2割を支払とを差引いた残りの7,100円をニコニコBOXに入れさせていただきます。第9回ロータリー日韓親善会議が9月7日ホテル青森で開催される案内が来ています。希望のある方は、参加して下さい。プログラムの案内を回覧します。 会員コーナー #奥田会員:加茂谷鯉祭りは、大変お世話になりました。綿菓子の売店だけ出なく、フリーパスポートの販売もお願いし大変ご迷惑をおかけしたと思います。ありがとうございました。来年は、第20回の記念のイベントとなりますので、宜しくお願い致します。 *卓話(久栄会員) 〜山形県酒田市本間家を訪ねて〜 本間家は2000町歩の日本最大の大地主だった。本間庭園、博物館。本間旧本邸は100メートルの練り塀、15間の平屋敷。5寸の檜の柱、部屋数が多く、屋根は越前瓦(福井県からオレンジ色の瓦)である。1768年に建築された。鶴岡藩主に幕府の巡見使一行を迎えるための本陣宿として差し上げた。幕府の役人が泊まり終えてから払い下げて貰った。樹齢400年の大きなかぶりの松と呼ばれる赤松がある。3代目の本間光丘が有名。14・15歳の時に姫路で商売の修行をした。廻船問屋、金貸業、商業資本を作っていった。おじいさんが、儲けたら儲けの3分の1を世のため人のために還すと言っていた。1kmの庄内砂丘があるが、木が育たなかった。むしろ200万枚、松の苗200万本を提供し松林を育て庄内砂丘からの飛砂を防いだ。藩主の酒井氏は、戦国武将で徳川四天王の一人である酒井忠次の嫡流、譜代大名鶴岡藩14万石の大名だった。7代忠徳の時代、20万の藩の借金があった。殿様の食べるものにも貧窮した。本間光丘は200石や400石の武士に任命され藩の財政改革を任された。藩士・農民などの借財の一切を肩代わりし貧しい武士や農民を救う。その他8藩の財政再建に貢献していた。天明の大飢饉の際は、光丘備蓄米として2万4千俵を放出し庄内では一人の餓死者を出さなかったと言う。60歳の人生で14万両を残した。後に光丘神社が作られ社会貢献を認められ地域の人々に崇められた。全国的にも有名で、「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と歌われている。更に本間家では田地の質入期間が普通10年のところ、30年と云うのが最も多く更に100年と云うものさえあり借り手を優遇していた。過酷な取り上げもなく 買戻しにも応じ、大豊作の時には更に土地を追加して返却した事例さえあったと云う。小作人、農民を労働力として考え丁重に扱った。こういう考え方があったので、本間家の小作や農民達は一度も一揆、騒動を起こさなかった。 *出席報告(岩浅副委員長) 会員総数27名。出席者数16名。出席率59.30% (会報雑誌委員会)
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