Anan Central Rotary Club
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阿南中央ロータリークラブ第30回例会報告

(2005/02/09 コートベール徳島GC)

■会長報告

1)2/12大塚ベガホールにてIM。集合場所:米積さん事務所。時間9:30
2)2/6駅伝大会のボランティアご苦労様12名も参加してくれました。
3)次週(2/16)夜間例会。場所「料亭まちだ」(町田会員のお店です)詳しくはホームページ掲示板を見て下さい。
4)先日より懸案の熊本での友好クラブ締結式(3/19,20)に今のところ4名参加。是非もっと参加願います

■幹事報告

1)IM参加者は10名。もっと参加してください。2)春季県下RCゴルフ大会参加を募ります(3/21)


■会員卓話米積会員・・日本刀談義・第2回)

(まず、会報雑誌委員会からのお詫びと訂正。先週の週報で九州街道と書いたのは、西海道の誤り。総州は相州の誤りでした。)さて、今週は近藤特別会員が「海部刀」を持ってきてくれました。海部刀というのは蜂須賀が大阪夏の陣で戦功をたてるのに大いに役立ちました。とにかくよく切れます。正宗は天下に名高い名刀なので銘を入れません。そこで武将は海部刀を短くして正宗と称して使っておりました。1尺は短刀、1〜2尺は脇差、2尺以上が刀です。ところで正宗の一番弟子の左文字の話ですが(詳しくは先週号をお読み下さい)、三好宗三も持っていました。宗三が長慶と仲違いしたとき、宗三は左文字をもって武田信虎に援軍を乞い、信虎は義元に自分の娘を嫁がせるとき、左文字を持たせた。それを義元は桶狭間で持っていたわけです。勝った信長はそれをとりあげ、表に「織田尾張守信長」と書き、裏に「義元を討ち取る」と書き大切にしました。ところが1582年本能寺において信長は明智光秀により討ち取られますが、機転のきいた女性により、左文字は秀吉にわたり、その後秀頼にたくされます。そして家康との対面のとき秀頼は左文字を家康に譲るんですね。この時点で家康は自分の天下を確信したものと思います。その後歴代の徳川将軍に受け継がれ、最終的には明治13年、信長ゆかりの神社に奉納され、今でも京都にいけばご覧になれると思います。(米積さんの日本刀談義はこれで一応、中休み?)
(先週から引き続いての刀、歴史談義でした。たいへん勉強になりました。考えて見ますと左文字と言う刀が歴史に大いに影響していると言うことに感銘をうけます。でも間違いがありましたら訂正してください。会報雑誌委員会)

出席報告(岩浅委員長)
会員総数37名。出席者数19名。出席率51、35%
      届出なしの欠席者:梶川、矢勢、福島、立石、生野(隆行)、正瑞

*ロータリーまめ知識:夜間例会(たまに通常の例会の変わりに、例会を夜間に変更することがあります。その日は昼の例会は休会。でも例会には変わりはありません。ただし、夜間例会の場合例会後、通常懇親会があります。

(会報雑誌委員会)

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